山行記録/個人山行/2002-06-06〜12-02/日本縦断の山旅

Last-modified: 2013-05-15 (水) 12:55:38 (1747d)
山域日本縦断の山旅
日程2002年6月6日〜12月2日
メンバーたまきち、他2名

報告

12月に帰宅してから、はや3ヶ月が過ぎようとしている。グータラ生活をしていると月日が経つのは早い。汗水流した半年は長かった。いや、過ぎてしまえば あっという間だったなー、やっぱり。 私は日本百名山を目指し、日本を縦断した。ことの発端はこうだ。

1年前、初の単独縦走を試みた槍・穂を逆コースで辿ってみたいとずっと思ってた。また、その年に登った北海道の山々。靴ずれのせいで多くを歩けなかった。この2つをリベンジするべく(という訳でもないが)退職した。で、色々考えると交通費がばかにならない、いちいち帰宅してては お金も時間も無駄。ならば、いっそ車上生活をして、北は北海道 南は九州へ行っちまおうと考えた。そんで、情報も豊富・人もいっぱいってことで百名山を目指すことにした。雪が来る12月までの半年間と期限もつけた。 「利尻で始まり屋久島で終わる」という夢の計画が実現しようとしていた。あと2人の仲間にも恵まれ、6月6日私たちを乗せた船は北海道へ向かっていた。それから12月2日に帰宅するまでこの計画を遂行した。

半年で45の山の頂に立った。180日の予定だったから、まず100は無理と踏んでいたが 50は登りたかった。 敗因は北海道に長く居すぎたこと。9つの山に登るのに1ヶ月半も費やしちゃった。天候に恵まれなかった。雨でも行けば良いのだが、無茶は禁物、、、 しかも観光も兼ねてたし、、、宗谷岬に野付半島、最東端の野沙布岬 襟裳岬 の名所や無料の露天風呂には欠かさず立ち寄った。知床のカムイワッカ湯の滝は必行。それにサロマ湖畔の船長の家という民宿は一度お試しあれ。たらふくカニ三昧で6000円!屋台のホタテの刺身も超うまい。利尻のウニも絶品。 あっと、山行記録だった。。 そう、利尻は寒かったけど最高!360度まではいかないが、250度くらいの海のパノラマ、樺太や大雪山系まで見渡せた。霧氷のため計画通りの山行ではなかったが、第一発としては山中1泊を成功に収めた。幸先良いスタートとなった。

7月上旬、この旅の発端である大雪・トムラウシの縦走へ行った。お花が満開で天気も良く透き通る青空だった。野生のりすやキツネもいた。のんびり3泊で計画したので本当充実。 あー退職した甲斐があったなー と思う山だった。しかし、北海道はやはり熊が怖かったー、実際 生グマ見たしね。。

7月26日 北海道を後に本州へ入った。翌日、山友達と現地集合して、沢登りへ行った。大行沢(おおなめさわ)に行ったのだが、本当なめばかり。あちこちで滑り台してたらお尻に大きな穴があいて大笑い。遠く、東北で再会ってのがこれまた楽しい。それで、機会があればいろんな人とあちこちで合流した。 盛岡で浅原さん・ババチに会い桃洞沢へ、K原さん・T高さんと南アルプス小仙丈沢へ、癒し〜ズことうっちゃん・ひーちゃんと紅葉の妙高火打へ、と。地方で合流っての山行は、旅をしていた私にとっては、すっごく新鮮で、単調になりがちな山旅のアクセントとなった。

半年も山三昧と聞けば、これを読んでる人にとっては羨ましい限りかも知れないが実際のところ、山に行きたいというモチベーションを持続するのは、そう簡単なことでもなかった。休養日にピーカンに晴れれば “あー行けば良かった” なんて思ったりもしたけどなかなかねぇ。「時間はあるから行きたい時に行く」で、決して義務にしたくなかったが、後半はほとんど義務だった。何か強迫観念にかられたようだったよ。だから、合流するのが本当楽しみだった。

前述したみなさん メール・電話をくれたみなさん 感謝してます。 さて、3人で出発した旅も8月中旬には一人旅となった。お気楽・ご気楽だけれど、不安も責任も倍増した。なおさら山から足が遠のきがちだったが、この旅のメインイベント槍・穂の再チャレンジが待っていた。忠実にそのまんま逆を歩こうと思った。テン場も行程も同じくして。 上高地から入山し、中房温泉への4泊コースなんだけど 前年と同じじゃつまらない。プラスαのことがしたかった。下山した日にホテル泊として、常念・蝶を2泊して上高地に戻る計画を立てた。 いやーーこれが最高に充実!! 天気も8日間快晴。降られたのはホテルにいる間だけ。この時は常念も断念と諦めていたが、翌日には雲一つないお天気で。 そこからの絶景ときたら、もう言葉にならない感動だった。目を閉じれば鮮明に浮かんでくる。3〜4日前に歩いた稜線が目の前にあるんだもの。 “んー我ながらよく歩いたな”と一回り大きくなった(ような)自分を認識する喜び。やっぱり山が好きなんだなーと実感する。 くどいようだが本当に宝の山行だった。

全てのモチベーションを使い切ってしまったような虚無感、季節はじき10月、寒くなったきたし もう帰ろうかなんて弱音も出てきた。 でも、、、せっかくここまで来たんだ、成し遂げたい。山は行かなくとも九州までは! 約束の半年間までは! いい機会だから地方にいる友人を訪ねてまわろうと、自分を奮い立たせた。 それで、九州を目指したわけだけど 節約のため下道を走っていると “んーせっかくだ。登りたい” という気持ちになってくる。 屋久島に雪が降るのを恐れ、早くそこに辿り着きたかった。四国を省くか、大山を飛ばすか、先に屋久島へ行き北上してくるか など思いを巡らせているうちに がぜんやる気が出てきちゃたゾ。

10月半ばだったが、12の山を今月中に登ってやると意欲が出てきた。それからは、執りつかれたように3つ連日 1日休みのサイクルで登っていった。どれも日帰りコースだが、移動が長い。6時起床 14時下山のあと、6〜8時間のドライブの繰り返し。 白山以南8つを登頂し、10月25日九州上陸。そしたらなんと雪が降ってきた、でも登った。この辺りはヘンピで水は公衆トイレから、夕食はツナ缶なんて生活を送ってた。こっちまでやって来ると合流することもなく、本当一人ぼっちで寂しかった。携帯がありがたかった。

で、遂に残すところ屋久島1つとなった。でも、九州本土で降雪、11月にも入っちゃったし、望みの連休は 悪天予報のため延期しちゃったしで、 屋久島へ行くことは勇気のいることだった。冗談抜きで 遺書 書いていこうか?なんて思ってた。ところが、決死の思いもつかの間。屋久島へ入港したらピーカン・暖かい。淀川小屋には数名だろうとふんでいたら、20名はいる大にぎわい。隣の人も私と同じような行程、夜空の星が今にも降ってきそう。安心してシュラフに入る。 6時出発。久々の重荷でしんどいがドピーカンの快晴で心が軽い。つるつるになった氷に足元おぼつかなかったが、黒味もピストンで登った。ここからの眺めは超サイコー、永田岳と宮ノ浦岳が目の前に聳えてる。行くとこ行くとこ、日本離れした風景。すっかりチョンチョンになり、宮ノ浦岳ののち永田岳にも足を運んだ。大声で“ヤッホー”と叫んだ、実にすがすがしい。下りるのがもったいない。9時間歩いた、んー満喫。 新高塚小屋には、あとからあとから人が来て満員御礼 60名はいたよ。6時半出発。念願の縄文杉が見れた、屋久杉はすばらしい。と言うか屋久島全体がすばらしい。苔むしてて それでいてジトッとしてなく、爽やかなジャングルって感じ。又 必ず来るぞと思った。

オーラスなので白谷雲水峡からのバスには乗らず、歩いて県道に出た。ここの道がまた実に良い、そんなに整備されてなく野生の屋久鹿がいっぱいいた。私のことを物珍しそうにのぞいてた、かわいい。 もう、すぐそこに海が見えている。 “あー私の山旅もフィナーレだ。”涙でも出てくるかと思ったが、口をついて出てきた言葉は 「あ〜これでやっと帰れる」だった。現実はこうよね。最高のご褒美として1万の宿に泊まることにした。のんびり湯に浸かってビールを飲む。“あ〜幸せ” 夕食後もちびちび一人飲んでたらあちこちから、メール・電話が入る。これが嬉しかった。 あー成し遂げたんだと実感する。「利尻で始まり屋久島で終わる」夢の日本縦断を私は実現したんだ! 酔いも手伝って、大きな感動が押しよせてくる。電話やメールに応答しているうちに大泣きしていた。 その日の日記に “一人の時ほど一人じゃない” と書かれている。うまい表現だ。この旅で得た最大のものはこの一言につきるかも知れない。陰ながら応援してくれる仲間・友人がいるってことは最高の喜びだ。山や街でも、いろんな人と触れ合い 人のぬくもりや思いやりを感じ取ったきた。

....っとこうして半年間の旅は終わった。今 思い返すと、自分でもよくやったなぁ 本当に行ったのか 何か信じられない これを機に人間少しは大きくなっていることを期待したいもんです。

(記 たまきち)